季節のテーマ
地球の健康が人間の健康にも影響?“プラネタリーヘルス”について知ろう
監修/渡辺 知保先生(長崎大学 プラネタリーヘルス学環 学環長)
概要・目次※クリックで移動できます。
気候の変化が及ぼす健康への影響
非常に厳しい暑さが続いた2023年の夏。5月から9月にかけて熱中症で救急搬送された人は全国で9万1467人に上りました※1。2022年同期間の救急搬送人員7万1029人に比べて、2万人以上増えています。熱中症までには至らなくても、暑さのせいで食欲が低下したり、夏バテや体調不良を起こしたりした人は少なくないのではないでしょうか。
※1:総務省消防庁報道資料による(https://www.fdma.go.jp/disaster/heatstroke/items/r5/heatstroke_nenpou_r5.pdf)を2024年1月12日に参照
また、近年では気象や天気の変化が原因で起こる心身の不調「気象病」も注目されています。
こうした猛暑や、大きな気象の変化を引き起こす台風やゲリラ豪雨といった極端な気象が増えている背景には地球温暖化があるといわれており、最新の研究手法を用いて、これを裏付ける結果が得られています。温暖化の影響は、日々の生活の中で肌感覚として感じる場面も多いかもしれませんが、先に挙げた例のように、実は私たちの「健康」にも大きく関わっているのです。
さらに、近年、世界的に拡大している感染症のデング熱は、蚊が媒介するデングウイルスに感染することで発症します※2。気候の変化によって気温や降水量などが変化すると、蚊の分布域の変化や発生数の増加によって、感染が広がる可能性があります。同じく蚊に媒介される感染症であるマラリアやウエストナイル熱、日本脳炎などにも注意が必要です。
※2:厚生労働省検疫所FORTHホームページ(https://www.forth.go.jp/moreinfo/topics/2022_00001.html)を2024年2月6日に参照
気候の変化は自然の生態系にもさまざまな影響を及ぼします。その結果、新たな病原体や感染症が増えたり、農産物や水産物の生産量が減ることで摂取する栄養にも不足が生じるなど、将来にわたってさまざまな健康リスクが高まる可能性があります。
広まるプラネタリーヘルス
人生100年時代においては、病気の予防や治療といったことだけでなく、ウェルビーイング(身体的、精神的、社会的に良好な状態であること)を含めた「健康」を目指すことが、健康寿命を長くするうえでも大切です。
前述のとおり、私たちの健康は温暖化といった地球の環境と密接な関わりがあります。人間の健康だけでなく、“地球の健康”についても同時に目を向け、お互いに影響し合っていることを踏まえたうえで意識や行動を変えていくことが、これからの時代には必要です。
そうした考えから生まれた取り組みが「プラネタリーヘルス」です。
プラネタリーヘルスの概念は、2015年に米国のロックフェラー財団と科学誌ランセット誌が立ち上げた「Rockefeller Foundation-Lancet Commission on Planetary Health」の報告書が公表されたことがきっかけとなって、世界的に広がりました。
2016年には米国を中心に「プラネタリーヘルスアライアンス(PHA)」が発足し、世界中の400以上の大学、非政府組織、研究機関、政府機関から成るコンソーシアムとして、地球環境の変化とその健康への影響を理解し、対処する取り組みが行われています。2023年には国内でも学術関係者を中心とした日本のハブ組織が設立されました。
また、国内では長崎大学が2020年から大学全体として「プラネタリーヘルスへの貢献」を目標に掲げ、いち早く教育や研究への取り組みを開始しました。同大学ではプラネタリーヘルスを『「地球の健康」を支え続けるために有効な「答え(解決策)」を探求し、私たち自身の意識変容、行動変容を促す取り組み』と定義しています。地球の健康には、温暖化だけでなく、政治や経済、社会システム、多様性の問題などさまざまなテーマが含まれます。複数の学部が連携することで、多角的な観点から「答え(解決策)」の探求が進められています。
プラネタリーヘルスに近い取り組みとして、「SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)」が広く知られています。SDGsでは持続可能な社会を実現するため、地球環境や社会、経済、人権などさまざまな課題にまたがる17の目標を掲げ、2030年までに達成することを目指しています。それぞれの目標を達成するためのターゲットや指標も示されており、問題意識の共有や一人ひとりの行動指針となっています。
2030年までに17の目標を達成することがSDGsの終着点になりますが、プラネタリーヘルスはその状態を後世まで長く続けていくことを重要視して、時には競合もする各目標の関係を明らかにした上で、長く持続していくための仕組みづくりを目標としています。科学的根拠や知識はもちろん重要ですが、プラネタリーヘルスの実現に至る具体的な方法を見出すことを目指しています。
一人ひとりができるプラネタリーヘルス
地球の健康を守ることの大切さは理解できていても、「自分ごと」として考えることがなかなかできなかったり、個人でどんなことをすればよいのか分からなかったりする人は多いかもしれません。
身近なこととして、家庭の省エネやレジ袋を使わないことがよく取り上げられますが、緑の多い場所や公園を散歩するなどして、自然と接する機会を増やすことをおすすめします。都会の中でも自然によく目を向けると、虫や草花などさまざまな生き物の存在に気づくことがあるはずです。そのほか、なるべくその土地で採れた旬の野菜や魚介類を食べる“地産地消”も、取り入れやすいアクションの一つでしょう。
身近にある自然やそれがもたらしてくれる恵みに気づき、自分の生活や健康にどのように関わっているのかを一人ひとりが考えることで、自然豊かな社会の実現、ひいては地球の健康へとつながっていくと考えられます。
もちろん、個人の努力には限界があるため、政府や自治体、企業などの大きな組織の力も必要です。
エネルギー削減に取り組んでいる企業の商品を積極的に購入して応援する、選挙のときには環境問題への取り組みを表明している候補者を選ぶ、といったことも個人ができるプラネタリーヘルスの一つです。
省エネやプラスチックごみの削減などといわれると、地球の環境問題は“我慢しなくてはならないもの”と捉えがちですが、自分たちが今、地球に対してどう振る舞うかによって未来がさらにポジティブなものになるのだと、ぜひ認識を変えてみましょう。まだ地球の健康を良い方向へ変えることは可能です。手遅れになる前に、行動に移していきましょう。
監修者プロフィール
渡辺 知保先生(長崎大学 プラネタリーヘルス学環 学環長)
【渡辺知保(わたなべ ちほ)先生プロフィール】
長崎大学 プラネタリーヘルス学環 学環長
長崎大学大学院 熱帯医学・グローバルヘルス研究科 教授
保健学博士。東京大学名誉教授。東京大学大学院医学系研究科保健学専攻博士課程・単位取得済退学。東北大学医学部衛生学講座助手、東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻・人類生態学分野教授、国立研究開発法人 国立環境研究所理事長などを経て、2021年より現職。人類生態学、毒性学を専門とし、持続可能性と健康に関する研究などを行う。
人生100年時代、心身ともに健康で楽しく幸福に長生きすることは多くの人の願いでしょう。しかし、病気の予防や治療だけでは健康寿命を延ばすことは難しいかもしれません。なぜなら“地球の健康”も私たちの健康に密接に関わっているからです。人間も含めた地球全体の健康に着目し、意識や行動を変えるための取り組み「プラネタリーヘルス」について、長崎大学 プラネタリーヘルス学環 学環長の渡辺知保先生に伺いました。