歯
抜けた歯を再生医療に活用!歯髄細胞が未来のあなたを救う
監修/中原貴先生(日本歯科大学副学長/生命歯学部 発生・再生医科学講座教授/ 「歯の細胞バンク」代表)
再生医療は、病気やケガなどで失われてしまった臓器や組織の機能を、”細胞”を使って再生しようとする新しい医療技術です。iPS細胞やES細胞が有名ですが、近年は、歯髄(歯の中にある軟組織)に含まれる歯の細胞にも注目が集まっています。歯の細胞を利用した再生医療の現在と未来について、日本歯科大学副学長で生命歯学部発生・再生医科学講座教授の中原貴先生にうかがいました。
概要・目次※クリックで移動できます。
ES細胞、iPS細胞、組織幹細胞……世界規模で進む再生医療
人の体の中には、「幹細胞」と呼ばれる、特殊な細胞があります。幹細胞は、体の組織や臓器の一部が損傷したり不足したりすると、分裂しながら増殖し、必要な細胞へと変化(分化)して組織を再生する能力を持っています。傷ついた皮膚が自然に回復するのも、幹細胞による再生力が働くためです。
この性質を医学に応用し、幹細胞を活用することで、失われた体の一部や機能不全を起こした臓器を再生して元通りにしようとする、再生医療の研究が世界規模で進められています。
幹細胞を再生医療に用いるには、いくつかの条件があります。
➀活発に増殖する能力(自己複製能)を有していること
②複数の細胞に変化できる能力(多分化能)を有していること
③患者さんにとっての安全性が確認されていること
このうちの①と②の能力がすばらしいことから、再生医療では、万能細胞と呼ばれるES細胞やiPS細胞の応用が期待されています。特に、細胞に特定の遺伝子を働かせて人工的に未分化の状態に戻すiPS細胞など、先進的な幹細胞の動向に注目が集まっています。しかし、こうした万能細胞は、安全性や倫理面でのリスクが懸念され、現在も慎重に研究が重ねられています。
ES細胞やiPS細胞ほど万能ではなくても、即応性と安全性を兼ね備えた解決策として、体の組織や臓器の中にもともと存在する患者さん本人の幹細胞(組織幹細胞)を使った再生医療の研究も進められてきました。医科領域における一例としては、骨髄に含まれる「骨髄幹細胞」を利用して血管や神経細胞の再生を促し、脳梗塞や脳卒中による後遺症を軽減する再生治療などは、すでに医療現場で行われています。
そして、近年新たに、再生医療の切り札として期待を寄せられているのが「歯髄」の幹細胞です。
歯髄の幹細胞が持つ可能性
歯髄は、歯の中にある軟組織です。歯に栄養を与える血管や、痛みを感じる神経などの他、「幹細胞」が含まれています。
●歯の中にある歯髄
歯髄の幹細胞には、再生医療に用いるのに適した、様々な特性があることが分かっています。
●歯髄の幹細胞の特徴
- 活発に増殖する能力(自己複製能)を有していること
- 複数の細胞に変化できる能力(多分化能)を有していること
- 腫瘍化・がん化する可能性は極めて低く、安全性が高いこと
- 年齢や性別を問わずに患者さんから採取できること
これは、どのような意味を持つのか、それぞれ見ていきましょう。
<活発に増殖する能力(自己複製能)を有している>
細胞を培養した時の細胞数を比較してみると、骨髄の細胞に比べて、歯髄の細胞は3~4倍の増殖力があることが分かっています。活発に増えるということは、短期間で、大量に治療用の細胞を得られるメリットがあります。
●歯髄と骨髄の細胞の増殖曲線
「歯の細胞バンク」のパンフレットより引用
歯の組織片(写真左のかたまり)から、紡錘形の細胞が遊走してくる様子。歯髄細胞が活発に増えているのが分かる。
<複数の細胞に変化できる能力(多分化能)を有している>
骨芽細胞、脂肪細胞、軟骨細胞、神経細胞など多くの細胞に変化する、多分化能を持っていることが分かっています。
<腫瘍化・がん化する可能性は極めて低く、安全性が高い>
iPS細胞の不安要素として指摘されているのが、安全性です。体のほとんどの細胞に変化でき、無限に増える能力があるとされるiPS細胞。この能力がプラスに作用したときの恩恵はすばらしいものですが、マイナスに作用してしまった場合のリスクもあります。現段階では、移植した細胞が腫瘍化・がん化してしまう可能性がゼロではなく、慎重な研究が続けられています。
一方、歯髄の細胞は、腫瘍化・がん化する可能性は極めて低いと考えられています。もともと体の中に存在していた細胞に由来しているので、やがては寿命を迎えて増殖しなくなるからです。患者さん本人の細胞を使用するので、移植後に免疫反応を起こす恐れもなく、安全性が高いと考えられています。
<年齢や性別を問わずに患者さんから採取できる>
歯髄の幹細胞は、幼児の乳歯でも、高齢者の歯からも採取できます。若い患者さんの歯のほうが、たくさんの歯髄の組織が採取できるので細胞を増やすには有利ですが、幹細胞としての特性は同じです。
さらに、幹細胞の採取がしやすいことも大きな特徴です。骨髄の場合、幹細胞を採取するためには、骨髄穿刺(骨の中に針を刺して骨髄液を採取すること)が必要になり、患者さんの体への負担は無視できません。一方、歯髄の場合は、必要な治療によって抜いた歯(抜去歯)から歯髄組織を採取することができます。つまり、患者さんにとって、幹細胞を採取するための負担がないのです。ただし、抜いた歯であればどれでもよいということではなく、認定医によって抜かれた乳歯や親知らず、矯正治療で抜いた歯を用います。
歯の細胞を、再生医療で全身の疾病治療に役立てる
これらの特性により、歯髄の幹細胞が疾病治療に適していることが分かり、再生医療の実現に期待が高まっています。
●期待される歯の細胞を用いた再生医療
神経疾患、筋疾患、臓器疾患など、まだ動物実験の段階ですが、治療効果があったことが報告されています。犬や豚など大型動物での実験に着手している研究もあり、数年後には、臨床研究実験が始められるのではと期待されています。全身疾病の治療に役立てられることが実証されれば、歯科と医科が協働した治療が実践される運びとなるでしょう。そんな未来に向けて、歯髄の幹細胞を保管する取り組みも始まっています。
将来に備えて、”歯の細胞”を保存しておく取り組み
2015年4月に設立された「歯の細胞バンク」は、将来必要になった時に歯髄の幹細胞を利用した再生医療を受けられるように、歯髄の幹細胞を預かります。
■「歯の細胞バンク」の役割
歯の細胞バンクでは、認定医から送られて来た患者さんの抜去歯から、厳重な無菌状態の部屋で歯髄組織を採取し培養した後、凍結保存して半永久的に保管します。
■対象となる歯
歯の細胞バンクの対象となる歯は、乳歯、親知らず(智歯)、矯正治療などで抜く必要がある歯です。こうした歯は、認定医(認定医講習会を受講した歯科医師)のいる歯科医院で抜去された歯であることが条件になります。
日常生活で自然に抜けてしまった乳歯、重度の虫歯で抜かざるを得なくなった歯、歯周病で抜けてしまった歯、ぶつけて抜け落ちた歯などは、細胞バンクに預けることはできません。その理由は、「歯の細胞バンク」に認定された歯科医師によって、抜けた歯の適切な処理がされていないため、細菌やカビによる汚染(コンタミネーション)が予想され、細胞が培養できない可能性があるからです。
●「歯の細胞バンク」と再生医療の流れ
■「歯の細胞バンク」に歯髄細胞を預けるには
歯の細胞バンクへの登録には、同意書の記入など必要書類の手続きと、初年度費用5万円(税別)、年間保管費用2万円(税別)が必要です。詳細は、歯の細胞バンク事務局またはお近くの認定医にご確認ください。
認定医は、現在1199人(うち医師の認定医16人、2020年1月現在)。全国47都道府県全てにわたっています。認定医を探したい時には、歯の細胞バンクのウェブサイトで検索または歯の細胞バンク事務局までお問い合わせください。
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監修者プロフィール
中原貴先生(日本歯科大学副学長/生命歯学部 発生・再生医科学講座教授/ 「歯の細胞バンク」代表)
【中原貴(なかはら たか)先生】
日本歯科大学副学長/生命歯学部 発生・再生医科学講座教授/「歯の細胞バンク」代表
1999年日本歯科大学歯学部卒業、東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科博士課程修了博士(学術)取得。後に東京慈恵会医科大学大学院医学研究科(社会人大学院)博士(医学)取得。2003年より日本歯科大学歯学部(現・生命歯学部)発生・再生医科学にて助手に着任、2010年同学部教授に就任。再生医療に向けた研究開発と医療インフラの構築に取り組み、2015年4月に「歯の細胞バンク」を設立。新たな歯科医療の可能性を追究している。2017年より日本歯科大学副学長に就任、現在に至る。